判決文 No.1
平成19年2月28日判決言渡
平成18年(行ケ)第10083号審決取消請求事件
平成19年2月14日口頭弁論終結
判決
原告ビーティージー・インター
ナショナル・リミテッド
訴訟代理人弁護士矢部耕三
同大西千尋
訴訟代理人弁理士桜井周矩
被告特許庁長官中嶋誠
指定代理人鈴木由紀夫
同野村康秀
同徳永英男
同大場義則
主文
- 原告の請求を棄却する。
- 訴訟費用は原告の負担とする。
- この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1 請求
特許庁が不服2003−11040号事件について平成17年10月12日 にした審決を取り消す。
第2 当事者間に争いのない事実
1. 特許庁における手続の経緯
原告は,1992年3月6日(優先権主張1991年3月7日,英国)を国際出願日とする特願平4−506031号(以下「原出願」という。)の一部を分割して,平成13年6月29日に,発明の名称を「均質なポリマー物質」とする新たな特許出願(特願2001−197796号,以下「本願」という。)をした。
原告は,本願について,平成15年3月31日付けで拒絶査定を受けたので, 同年6月16日,拒絶査定不服審判を請求し,この請求は不服2003−11040号事件として特許庁に係属した。その後,原告は,平成16年11月24日付けで拒絶理由通知を受けたので,平成17年5月19日,本願に係る明 細書(特許請求の範囲の記載を含む。)を補正する手続補正をした(以下,この 補正を「本件補正」といい,本件補正後の本願に係る明細書を「本願明細書」という。)。特許庁は,審理の上,平成17年10月12日,「本件審判の請求は,成り立たない」との審決(附加期間90日)をし,同年10月25日,その謄本を原告に送達した。
2. 特許請求の範囲 本願明細書の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(下線部は,本件 補正による補正箇所を示す。以下,各請求項に係る発明を請求項に対応してそ れぞれ「本願発明1」などといい,これらをまとめて「本願発明」という。)。
「【請求項1】ポリマー再結晶溶融相により結合された配向ポリマー繊維の圧 縮集合体からなる,シート,ロッド又はバー形状の見た目には均質な外観を 有するポリマー物質であって,その配向ポリマー繊維及びその溶融相が配向ポリマー繊維先駆体の集合体 から得られ,その溶融相がその物質のポリマー含量の5−50重量%からな り,且つ配向ポリマー繊維の融点より低い融点を有し,そのポリマー繊維が ポリオレフィン,ビニルポリマー,ポリエステル,ポリアミド,ポリエーテルケトン又はポリアセタールである,前記物質。
【請求項2】その溶融相が繊維間の空間を満たしている請求項1記載の物質。
【請求項3】その物質が,見た目には均質な外観を有し,且つ繊維が配向す る方向を横断する方向において応力が加えられた場合に優れた機械的性質を 有する,請求項1記載の物質。
【請求項4】そのポリエステルがポリエチレンテレフタレートである,請求 項1記載の物質。」
3. 審決の理由
別紙審決書写しのとおりである。要するに,本願は,その明細書の記載が, 少なくとも下記(1)及び(2)の点で不備であるから,特許法36条4項,5項及 び6項の規定(原出願は1992年(平成4年)3月6日にされた特許出願と みなされるから,審決にいう上記規定は,平成6年法律第116号による改正 前の特許法の規定をいう。以下,本判決におけるこれらの規定についても,同 様である)を満たしていない,としたものである。
(1) 本件補正によって,請求項3における「繊維が配向する方向を横断する方 向において応力が加えられた場合に均質な挙動を示す」との記載は,「繊維が 配向する方向を横断する方向において応力が加えられた場合に優れた機械的 性質を有する」と補正されたが,「優れた機械的性質を有する」といっても, どのような機械的性質を有することが求められるのか不明であり,また,そ の機械的性質がどの程度のものであれば「優れた機械的性質」といえるのか も不明であるから,請求項3については,発明の構成に欠くことができない 事項のみが記載されているとはいえない(以下「理由(1)」という。
(2) 本願明細書の段落【0029】,【0031】は,単に溶融相の含有率をDSCで求める旨記載しているにとどまりこれらの段落以外の記載をみても, 溶融相の含有率の具体的な求め方は記載されていないから,溶融相の含有率 の測定方法については,発明の詳細な説明をみても不明であり,したがって, 発明の詳細な説明には,本願発明1〜4を当業者が実施をすることができる 程度に,その発明の目的,構成及び効果が記載されているとはいえない(以下「理由(2)」という。
第3 原告主張の取消事由の要点
本願が特許法36条4項,5項及び6項に規定する要件を満たさないとした 審決の理由(1),(2)の認定判断はいずれも誤りであり,これらの誤りが審決の 結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,審決は違法として取り消される べきである。
1 取消事由1(理由(1)の認定判断の誤り)
審決は「優れた機械的性質を有する』といっても,どのような機械的性質 を有することが求められるのか不明であるし,また,その機械的性質がどの程 度のものであれば『優れた機械的性質』といえるのかも不明であるから,請求 項3については,発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されている ものとはいえない」(審決書3頁20行〜24行)と認定判断したが,誤りである。
(1) 本願明細書の段落【0003】,【0006】,【0012】,【0017】,【0025】〜【0027】の記載に示されるように,本願発明は,圧縮加熱さ れる配向ポリマー繊維を結合する溶融相の量をポリマー物質の5〜10重量 %に限定する(場合によっては,ポリマーの10〜20重量%又は50重量 %まで溶融する)ことによって,繊維の配向方向における機械的性質を大き く損なわずに繊維が配向する方向を横切る方向における機械的性質を改良し たポリマー物質であり,請求項3にいう「優れた機械的性質を有する」とは, 繊維が配向する方向を横切る方向に応力が加えられた場合に,その構成が不 均一であるために物質の一部に応力が集中する結果として分解又は破断する ことがなく,配向方向での強度を相当程度維持しながら,配向方向を横断す る方向においても強度を有することを意味する。なお,ポリマーシートに求 められる製品の品質として強度が高いことが重要であることは,当業者には 広く認識されているから,「優れた機械的性質」という用語が強度の点で優れていることを意味することは,当業者には理解可能である。
また,均質性の程度については,繊維が配向する方向における配向繊維の 機械的性質(特にモジュラス)の少なくとも50%,好ましくは75%を保 留している場合において,超音波Cスキャンの減衰がサンプル全体にわたっ て20%以下の変化(好ましくは,10%以下の変化)にとどまること,ま た,強度の点においては,配向ポリエチレン生成物の場合には,好ましくは 少なくとも15MPa,より好ましくは少なくとも25MPaの横方向に作 用する(すなわち,繊維が配向する方向に対して垂直な方向における)強さ を有することも,本願明細書において,当業者が十分に理解することができ る程度に記載されている。
このように,請求項3にいう「優れた機械的性質」の意味及び程度につい ては,発明の詳細な説明において明らかにされている。
(2) 本願発明3において「優れた機械的性質」の意味が幾分抽象的にならざるを得ないのは原料物質の性質が様々であることに由来するものであるが, 当業者において原料物質であるポリマー繊維を選択すれば,当該繊維の性質 に応じて,本願発明3に係るポリマー物質が有すべき「優れた機械的性質」 の内容が一義的に定まるのであるから,「優れた機械的性質」の意味が不明確 であるということはできない。
2 取消事由2(理由(2)の認定判断の誤り)
審決は,「溶融相の含有率の測定方法については,発明の詳細な説明をみても 不明である。したがって,発明の詳細な説明には,本願の請求項1−4に係る 発明を当業者が容易に実施できる程度に,その目的,構成及び効果が記載され ているとはいえない。」(審決書4頁2行〜6行)と認定判断したが,誤りである。
(1)ア 本願発明は原料物質である配向ポリマー繊維を一定の割合まで溶融したのち再結晶化させて結合したシート,ロッド又はバー形状の均質なポリマー物質に関するものであるが,溶融して再結晶化させた部分が溶融しな かった原料物質と異なる第2低融点相を形成することについては,本願明 細書の段落【0006】及び【0029】に記載されている。
イ(ア) 溶融相の含有率の測定方法としては種々の方法があるが,本願明細 書の段落【0006】は示差走査熱量計(Differential Scanning Calorimeter,以下「DSC装置」という)について,段落【0007】は DSC装置を用いる測定方法である示差走査熱量測定法(DifferentialScanning Calorimetry,以下「DSC測定法」という)について,それぞれ言及している。
(イ) DSC測定法は,100年以上前から存在して当業者により広く使用されている技術である。
DSC装置及びDSC測定法については,例えば甲13(財団法人日 本規格協会編「JIS工業用語大辞典第5版」財団法人日本規格協会2001年3月30日発行)に,ポリマーの融点における熱吸収反応をDSC測定法により測定することについては,例えば甲14(三田達監訳 「高分子大辞典」丸善株式会社平成6年9月20日発行)に,DSC測 定法の原理,装置,計測手順,データ解析などについては,例えば甲15(日本熱測定学会編「熱量測定・熱分析ハンドブック」丸善株式会社 平成10年8月25日発行(平成17年4月15日第4刷発行)に,そ れぞれ説明があり,また,計測手順については,甲16(日本工業標準 調査会審議「熱分析通則 JIS K 0129」財団法人日本規格協会平成17年 5月20日発行),甲17(日本工業標準調査会審議「プラスチックの転 移温度測定方法 JIS K 7121財団法人日本規格協会昭和63年2月29日発行(平成13年10月10日第6刷発行)に示されるように「JISK0129」,「JIS7121」において定められている。
そして,甲15に記載されているように,DSC測定法によって,融解現象(固体から液体への転移)が生ずる温度(転移温度)を測定し, そこから当該温度において吸収される熱量(転移熱量)を測定すること ができるから,同じ物質であるが質量の異なる二つの試料がある場合, DSC装置を用いてそれぞれの試料について融点における吸熱量を計測 してその比率を計算することによって,二つの試料の質量の比率を求め ることができることになる。
(ウ) 本願発明に係る物質を加熱融解すると,加熱するにつれてより低い 融点(以下「融点1」という。)で再結晶化部分の融解に伴う第1の吸熱 反応が現れ,その後より高い融点(以下「融点2」という。)で再結晶化 部分以外の部分(すなわちオリジナル繊維)の融解に伴う第2の吸熱反 応が現れる。一方,本願発明の原料物質(再結晶化部分は存在しない) を加熱溶融(融解)すると,融点2の温度で融解に伴う吸熱反応が一回 だけ現れる。
同一質量の本願発明に係る物質と本願発明の原料物質のそれぞれにつ いて,DSC装置を用いて融点2の温度における吸熱量をそれぞれ測定 し,その割合を計算することによって,本願発明に係る物質中,その生 成過程において融解することがなかった原料物質の割合が測定でき,ま た,溶融相の割合も計算できることになる。すなわち,原料物質である 配向性ポリマー繊維を全部融解するときに吸収される吸熱量をYとし, 本願発明に係るポリマー物質を全部融解するときに原料物質の融解温度 と同じ温度で融解する部分の吸熱量をXとすると,(Y−X)/Y×100が,溶融相の割合となる。
配向性ポリマー繊維として原型をとどめている部分が融解することに よる吸熱反応における吸熱量を,原料物質の融解時に吸収される吸熱量 と比較すれば,本願発明のポリマー物質における溶融相以外の部分の割合を測定することができこの割合を100%から減ずることによって,溶融相の割合を測定することができる。
ウ 以上のとおり,DSC測定法を利用した質量比の測定は原理的に単純な ものであって,溶融相の割合を測定することは,本願の優先権主張日当時, 当業者にとって格別の困難を伴うものでなかった。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明には,溶融相の含有率の測 定方法について,当業者が容易に実施できる程度の開示があるというべき である。
(2) 本願明細書の段落【0006】の記載が示すように,本願発明においてD, SC測定法は溶融相を測定する方法のひとつとして例示されたにすぎない。 当業者は,適宜の方法を使用すればよいのであるから,溶融相の含有率の測 定に格別の困難は存在しない。
(3) 物質の発明の場合その得られた物質の物性等の測定結果及び測定方法を開示することが必要となるとされているが,要求される開示の程度は,当業者が発明完成時に存在したその分野で知られている測定装置を使用してその測定結果を測定することができる程度であれば足り,測定装置を構成する学術的な測定原理等についてまで詳細に開示することは要求されていない。本願発明は,物質の発明に関するものであるから,その得られた物質の物性等の測定を,発明完成時に存在したその分野で知られている測定装置を使用してその測定結果を測定し,その測定結果を明細書に記載すれば足りるというべきである。
第4 被告の反論の要点
審決の理由(1),(2)のいずれの認定判断にも,違法や誤りはなく,原告主張 の取消事由は理由がない。
1 取消事由1(理由(1)の認定判断の誤り)について
(1) 特許法36条5項は特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した請求項に区分してあることを,同項2号で規定するものであって,請求項の記載内容が明確であることを要請するものである。
したがって,本件においても,請求項3の記載内容自体が明確であること が要請されるところ,「優れた機械的性質を有する」との記載内容は,同請求 項3において不明確である。仮に,「優れた機械的性質を有する」の記載内容 が発明の詳細な説明において明らかにされているとしても,特許法36条5 項に規定する要件を満たしているということはできないから,請求項3にい う「優れた機械的性質を有する」との記載内容が発明の詳細な説明において 明らかにされている旨の原告主張は,主張自体失当である。
(2) 本願明細書の発明の詳細な説明の記載からも,請求項3の「優れた機械的 性質を有する」との記載内容は明らかにされていない。
本願明細書の段落【0003】,【0006】の記載は,請求項3の「繊維 が配向する方向を横断する方向において応力が加えられた場合に優れた機械 的性質」との記載内容,すなわち,いかなる種類の機械的性質が,何と比較 して,あるいはどの程度に優れているかを開示するものではない。
また,本願明細書の段落【0012】,【0017】,【0028】の記載によれば,繊維が配向する方向を横断する方向において応力が加えられた場合に関する一般的な機械的性質として,引張りモジュラス,曲げモジュラス,曲げ強さの記載が認められるが,発明の詳細な説明には,請求項3に記載された「繊維が配向する方向を横断する方向において応力が加えられた場合に優れた機械的性質」における機械的性質が,これら3つの物性のうち,いずれのものなのか,あるいはそのすべてであるのかは示されておらず,さらに,何と比較して,あるいはどの程度に優れているかは明らかではない。
このように,本願明細書の発明の詳細な説明には,請求項3にいう「機械的性質」が強度であることは記載されておらず,その「優れた」との程度についても示されていない。
2 取消事由2(理由(2)の認定判断の誤り)について
(1) 原告が主張するDSC測定法による測定算出方法は,同一質量の,本願発 明に係る物質と,その原料である配向ポリマー繊維先駆体の集合体につき, DSC装置を適用して融解時のDSCチャートを得,前者物質のDSCチャ ートからは配向ポリマー繊維に由来する吸熱量Aを求め,後者集合体のDSCチャートからはそのすべての吸熱量Bを求め,吸熱量Bに対する吸熱量A の百分率を,100から減算して求める手法と解される。
しかし,本願明細書の発明の詳細な説明には,ポリマー再結晶溶融相につきDSC測定法の記載があることは認められるものの,上記方法が,本願の優先権主張日当時,技術常識であったとは認められず(本願の優先権主張日 前に頒布された甲17はもとより,本願の優先権主張日後に頒布された甲13〜16にも,上記方法の記載はない。甲13〜17には,ある物質を構成 する成分の重量割合をDSC測定法によって測定算出することが可能である 旨の記載もない。),発明の詳細な説明の記載に接した当業者にとって,上記 方法が自明な事項であるとはいえない。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明には,溶融相の含有率の測定 方法について,当業者が容易に実施できる程度の開示があるということはできない。
(2) 本願明細書の発明の詳細な説明には,溶融相の含有率の測定方法につい て,DSC測定法以外の方法についての具体的な記載は見当たらないし,ま た,原告はその具体的な内容について明らかにしていない。したがって,上 記他の方法の内容は,発明の詳細な説明において不明であって,DSC測定 法以外の方法によって,容易に実施できるということもできない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(理由(1)の認定判断の誤り)について
原告は,請求項3にいう「優れた機械的性質」の意味及び程度は,本願明細 書の段落【0003】,【0006】,【0012】,【0017】,【0025】〜【0027】など,発明の詳細な説明の項において明らかにされており,また, 本願発明3において,原料物質であるポリマー繊維を選択すれば,当該繊維の 性質に応じて,本願発明3に係るポリマー物質が有すべき「優れた機械的性質」 の内容が一義的に定まるのであるから,「優れた機械的性質」の意味が不明確で あるということはできず,審決の理由(1)の認定判断は誤りである旨主張する。 そこで,以下検討する。
(1)ア 特許法36条5項2号は,特許請求の範囲の記載が「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項」(請求項) に区分されていなければならないことを規定しているが,これは,特許請 求の範囲の記載によって権利範囲が確定されることに鑑み,その外延が明 りょうに示されていなければならないことを定めたものと解するのが相当 である。したがって,請求項には,その請求項に記載された発明を明確に 把握できるように,当該発明の構成に欠くことができない事項を明確に記 載しなければならないものというべきである。
イ 本願明細書(甲1,12の1)には,「機械的性質」あるいは「優れた機 械的性質」という語の意味を定義する記載は見当たらないところ,「機械的 性質」とは,「一般に荷重に対する性質。すなわち,静荷重・変動荷重など に対する変形・強度・硬度などの材料力学的性質。」(広辞苑第5版)ない しは「引張強さ,降伏点,伸び,絞り,硬さ,衝撃値,疲れ強さ,クリー プ強さなど,機械的変形及び破壊に関係する諸性質。」(JIS用語大辞典 第5版)を意味し,これには,強度,弾性率又は剛性率(モジュラス)の ほかに,伸び,絞り,硬さ,衝撃値などが含まれ,さらに,機械的性質に おける強度についても,引張り強さ,曲げ強さ,圧縮強さ,疲れ強さなど 様々な種類のものがある。したがって,請求項3における「優れた機械的 性質」との文言自体からは,当該「機械的性質」がいかなる「機械的性質」 なのか,また,どの程度「優れた」ものなのかを,理解することができない。
ウ 請求項3のその余の記載及び同請求項が引用する請求項1の記載を検討 しても,請求項3にいう「優れた機械的性質」との文言が意味する具体的 内容を明確に理解させるに足りる記載は見当たらない。
請求項3が引用する請求項1は,ポリマー繊維を「ポリオレフィン,ビ ニルポリマー,ポリエステル,ポリアミド,ポリエーテルケトン又はポリ アセタール」としているが,本願明細書(甲1)の「本件発明の方法は配 向ポリオレフィン製品,特に配向性ポリエチレン製品の製造に特定の用途 を有する(段落【0017」】),「本発明の方法に有用であるポリマー繊維 の他の種類は公知の配向可能なポリマーのいずれをも含む。特に,配向ポ リマーは非置換又はモノもしくはポリハロ置換ビニルポリマー,非置換も しくはヒドロキシ置換ポリエステル,ポリアミド,ポリエーテルケトン又 はポリアセタールでありうる(段落【0020】)などの記載に示されるように,汎用的なポリマー繊維のうち配向可能なものを特定したにすぎないから,本願発明3において原料物質となり得る公知の配向ポリマー繊維 は多数存在し,それらが有する機械的性質も広範囲にわたるものというべ きであって,本願発明3に係るポリマー物質が有すべき「優れた機械的性 質」の内容が一義的に定まるということはできない。
(2) 原告は,請求項3にいう「優れた機械的性質」の意味及び程度は,本願明 細書の段落【0003】,【0006】,【0012】,【0017】,【0025】〜【0027】など,発明の詳細な説明において明らかにされている旨主張 するが,前記(1)イで説示したとおり,本願明細書(甲1,12の1)には, 「機械的性質」あるいは「優れた機械的性質」という語の意味を定義する記 載は見当たらない。
原告の主張は,要するに,請求項3に発明の詳細な説明の項の記載を読み 込むことにより,「優れた機械的性質」の意味及び程度が明らかになるというものと理解されるが,請求項3における「優れた機械的性質」なる語は単に 従来技術との比較において進歩性を有し,あるいは格別の作用効果を奏する 旨を抽象的に述べる趣旨で用いられていると言わざるを得ず,何らかの技術 的意味のある構成を表現するものとして用いられているものとは言えないか ら,発明の詳細な説明の項の記載を斟酌して,その内容を明確化することが できるものではない。原告の主張は採用することができない。
なお,念のため本願明細書(甲1,12の1)の発明の詳細な説明の項の 記載をみても,そこでは,「繊維が配向する方向を横切る方向における生成物 の機械的性質は理想的に達しない(段落【0003】),「繊維の配向を横切 る方向における生成物の機械的性質が改良される(段落【0006】),「繊 維が配向する方向のおける配向繊維の機械的性質,特にモジュラスの少なく とも50%,好ましくは75%を保留する」(段落【0012】)などの記載において,「機械的性質」という語が用いられているが,前記(1)イのとおり,「機械的性質」とは,一般に,機械的な変形及び破壊に関係する諸性質を意味し,これには,強度,弾性率又は剛性率(モジュラス)のほかに,伸び,絞り,硬さ,衝撃値などが含まれ,さらに,機械的性質における強度についても,引張り強さ,曲げ強さ,圧縮強さ,疲れ強さなど様々な種類のものがあるから,発明の詳細な説明の項においても,請求項3にいう「繊維が配向する方向を横断する方向において応力が加えられた場合に優れた機械的性質」について,いかなる種類の機械的性質がどの程度優れているかが明示されているということはできない。
(3) 以上検討したところによれば,請求項3は「優れた機械的性質」という明 確でない記載を含むものであって,「発明の構成に欠くことができない事項の みを記載した」ということができない。したがって,本願明細書の特許請求 の範囲の記載は,特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていな いというべきであり審決の理由(1)の認定判断はこれを是認することができる。原告主張の取消事由1は理由がない。
2 取消事由2(理由(2)の認定判断の誤り)について
(1) 原告は,本願明細書の段落【0006】及び【0007】には,DSC装 置及びDSC測定法について記載されており,溶融相の含有率の測定は,DSC測定法による測定算出方法によって当業者が容易に実施できるから,発明の詳細な説明は,当業者が容易に本願発明の実施をすることができる程度 に記載されている旨主張する。
ア 本願明細書(甲1,12の1)の記載によれば,特許請求の範囲の請求項1にいう「ポリマー再結晶溶融相」(以下,単に「溶融相」という。)は, 発明の詳細な説明の項において,「オリジナル繊維よりも低い融点を有する 相」ないし「第2相(段落【0006」】,あるいは「第2低融点相」(段落【0029】)と記載されているものに相当し,融点が原料繊維よりも低いものであることが認められる。そして,溶融相の測定方法については, 段落【0006】に,測定手段としてDSC装置を用いることが記載され, 段落【0029】及び【0031】に溶融相の含有割合に関する数値が記 載されているが,それ以上に具体的な測定方法は記載されていない。
イ また,原告がDSC装置及びDSC測定法について解説するものとして 例示した甲13〜17について検討しても,同じ物質であるが質量の異な る二つの試料がある場合,DSC装置を用いてそれぞれの試料について融 点における吸熱量を計測してその比率を計算することによって,二つの試 料の質量の比率を求めることができることは記載されておらず,本件記録 を検討しても,ある物質を構成する成分(相)の重量割合をDSC装置に よって求めることができることが,本願の優先権主張日当時,当業者に自 明であったと認めるに足る証拠は見当たらない。
ウ 原告は,その主張に係る測定方法(前記第3,2(1)イ(ウ))は原理的に 簡単である旨主張するが,既に説示したとおり,本願明細書にはDSC装置を用いて溶融相の割合を測定する具体的な方法が記載されておらず,また,それが自明であると認めるに足る証拠も見当たらないから,原告の主張は,採用することができない。
(2) 原告は,本願発明においてDSC測定法は,溶融相を測定する方法のひと つとして例示されたにすぎず,当業者は適宜の方法を使用すればよいから, 溶融相の含有率の測定に格別の困難は存在しない旨主張する。
しかし,溶融相の含有率の測定方法について,DSC測定法以外の他の方 法は本願明細書に何ら記載されておらず,その具体的内容も明らかでないか ら,原告主張は採用することができない。
(3) 原告は,本願発明は物質の発明に関するものであるから,その得られた物 質の物性等の測定を,発明完成時に存在したその分野で知られている測定装 置を使用してその測定結果を測定し,その測定結果を明細書に記載すれば足 りる旨主張する。
ア 発明の構成を特定する指標の測定方法に関して,測定装置から直接得られる実測値だけで特定できる場合,あるいは測定方法自体が周知慣用である場合は,測定装置あるいは測定結果を記載する程度の開示であっても当 業者は容易に理解できるといえるが,それに当たらない測定方法の場合は 具体的な説明が必要である。
イ 本願発明は,溶融相の含有量を「ポリマー含量の5〜50重量%」から なる点をその構成要件としているから,製造されたポリマー物質において 当該含有量を特定する必要があるところ,本願明細書には,DSC装置を 用いることは記載されていても,DSC装置を用いてどのような数値を測 定し,どのように計算すれば当該含有量を得られるのかが明らかにされて おらず,また,原告の主張する測定方法が本願の優先権主張日当時,技術 常識であったと認めるに足る証拠も見当たらないことは,すでに説示した とおりである。
ウ そうすると,本願発明の内容を理解するに当たり,測定装置を構成する 学術的な測定原理は必要としないまでも,基本的な測定原理そのものが本 願明細書に記載されていないのであるから,上記含有量の測定方法につい て当業者が容易に理解できる程度に記載されていないことは明らかであ る。原告の主張は採用することができない。
(4) 以上検討したところによれば,本願発明は「その溶融相がその物質のポリマー含量の5−50重量%」からなるものとされているところ,溶融相の含有率の測定方法については,発明の詳細な説明をみても不明であり,したが って,発明の詳細な説明には,本願発明1〜4を当業者が実施をすることが できる程度に,その発明の目的,構成及び効果が記載されているとはいえな い。よって,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,特許法36条4項に 規定する要件を満たしていないというべきであり審決の理由(2)の認定判断はこれを是認することができる。原告主張の取消事由2は理由がない。
3 結論
以上によれば,本願が特許法36条4項,5項及び6項に規定する要件を満 たさないとした審決の理由(1),(2)の認定判断はいずれもこれを是認すること ができ,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
よって,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文 のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官 三村量一
裁判官 古閑裕二
裁判官 嶋末和秀