判例紹介 No.32
知財高裁平成26年10月9日判決 2013年(行ケ)第10346号
1.サマリ―
この事案は、無効審判の請求棄却審決に対して提起された審決取消訴訟である。本件取消訴訟では、無効審判において被告が行った請求項の訂正が新規事項の追加に該当するか否かが争われた。特許明細書には、第4実施例の末尾に2以上の変形例が記載されており、この2以上の変形例を組み合わせてクレームに追加する補正が、新規事項の追加に相当するか否かが争点となった。知財高裁は、異なる変形例に記載された構成は、各々独立した技術的事項であるため、これらの記載を併せて、本件訂正事項が記載されているということはできないとして、上記審決を取り消した。
2.事実の概要
被告は、2008年2月8日に「水晶発振器と水晶発振器の製造方法」を発明の名称とする特許の設定登録を受けた(特許第4074935号、請求項数は3。以下、この特許を本件特許という)。
原告は、2012年12月26日に本件特許の請求項1〜3に係る発明について特許無効審判を請求した(無効2012−800211号)。被告は、2013年3月25日に上記特許無効審判において訂正請求をした。特許庁は、2013年11月18日に「請求のとおり訂正を認める。本件無効審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。
原告は、2013年12月26日に上記審決の取消しを求めて訴えを提起した。原告は、上記審決の取消事由として、本件訂正の適法性に係る判断の誤り(取消事由1)と、訂正後の本件特許発明の進歩性に係る判断の誤り(取消事由2)とがあると主張した。
3.知財高裁の判断
(1)本件訂正の内容について
訂正事項は,本件特許発明における第1音叉腕に溝を形成する工程について,「中立線を残してその両側に,前記中立線を含めた部分幅が0.05mmより小さく,各々の溝の幅が0.04mmより小さくなるように溝を形成する」との構成を付加するものであるところ,本件特許発明は,「前記水晶発振器は前記音叉型屈曲水晶振動子の基本波モード振動の容量比r1が2次高調波モード振動の容量比r2より小さく,かつ,基本波モードのフイガーオブメリットM1が高調波モード振動のフイガーオブメリットMnより大きい音叉型屈曲水晶振動子を備えて構成されていて」との構成を有するものであるから,訂正事項1及び2は,本件特許発明の構成に,「中立線を残してその両側に,前記中立線を含めた部分幅が0.05mmより小さく,各々の溝の幅が0.04mmより小さくなるように溝が形成された場合において,基本波モード振動の容量比r1が2次高調波モード振動の容量比r2より小さく,かつ,基本波モードのフイガーオブメリットM1が高調波モード振動のフイガーオブメリットMnより大きい」という事項(以下「本件追加事項」という。)を追加することになる。
(2)本件訂正の適否の判断方法について
特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項は、「明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面(同項ただし書第二号に掲げる事項を目的とする訂正の場合にあっては、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面(外国語書面出願に係る特許にあっては、外国語書面))に記載した事項の範囲内においてしなければならない」と規定している。ここでいう「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面」の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、訂正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面」に記載した事項の範囲内においてするものであるということができる。
(3)本件特許明細書の発明の詳細な説明には、以下の記載がある。
【0041】
更に、本実施例では、溝が中立線を挟む(含む)ように音叉腕に設けられているが、本発明はこれに限定されるものでなく、中立線を残して、その両側に溝を形成しても良い。この場合、音叉腕の中立線を含めた部分幅W7は0.05mmより小さくなるように構成される。又、各々の溝の幅は0.04mmより小さくなるように構成され、溝の厚みt1と音叉腕の厚みtの比は0.79以下に成るように構成される。このような構成により、M1をMnより大きくする事ができる。
【0043】
更に、第1実施例〜第4実施例の水晶発振器に用いられる音叉形状の屈曲水晶振動子の基本波モード振動での容量比r1は2次高調波モード振動の容量比r2より小さくなるように構成されている。このような構成により、同じ負荷容量CLの変化に対して、基本波モードで振動する屈曲水晶振動子の周波数変化が2次高調波モードで振動する屈曲水晶振動子の周波数変化より大きくなる。即ち、基本波モード振動の方が2次高調波モード振動より周波数の可変範囲を広くとることができる。さらに詳細には、負荷容量CL=18pF付近では、そのCL値が1pF変わると、基本波モード振動の周波数変化は2次高調波モード振動の周波数変化より大きくなる。(以下略)
(4)本件訂正の適否について
前記(3)にて認定したとおり、本件特許明細書には、【0041】に、中立線を残して、その両側に溝を形成し、音叉腕の中立線を含めた部分幅W7は0.05mmより小さく、また、各々の溝の幅は0.04mmより小さくなるように構成する態様、及び、このような構成により、M1をMnより大きくすることができることが記載されている。また、【0043】には、溝が中立線を挟む(含む)ように音叉腕に設けられている第1実施例〜第4実施例の水晶発振器に用いられる音叉形状の屈曲水晶振動子の基本波モード振動での容量比r1が2次高調波モード振動の容量比r2より小さくなるように構成されていること、及び、このような構成により、同じ負荷容量CLの変化に対して、基本波モードで振動する屈曲水晶振動子の周波数変化が2次高調波モードで振動する屈曲水晶振動子の周波数変化より大きくなることが記載されている。
しかし、上記【0041】と【0043】の各記載に係る構成の態様は、それぞれ独立したものであるから、そこに記載されているのは、各々独立した技術的事項であって、これらの記載を併せて、本件訂正事項が記載されているということはできない。また、その他、本件特許明細書等の全てにおいても、本件訂正事項について記載はないし、本件訂正事項が自明の技術的事項であるということもできない。
そうすると、本件訂正事項の追加は、本件特許明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものというべきである。
したがって、本件訂正事項の追加は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載さ板事項の範囲内において」するものということはできない。
(5)被告の主張について
審決は,【0041】と【0043】に記載する構成の態様が,それぞれ独立したものであり,両方の構成を有する態様については直接的には記載されていないとしながら,両方の作用効果を期待するならば,両方の構成を有するような態様とすることは当業者であれば自然であり,当業者が本件特許明細書をみれば,それぞれの構成を有する態様のみならず,両方の構成を有する態様についても,実質的に記載されていると解釈すると判断している。
審決の上記判断は,要は,【0041】と【0043】の記載に接すれば,【0041】に記載されている構成と,【0043】に記載されている構成の,両方の構成を有する態様については明示的な記載がなくても,当業者であれば,両方の構成を有する態様に想到するから,両方の構成を有する態様である本件訂正事項は本件特許明細書に記載されているに等しいというものである。
しかし,仮に,本件特許明細書の記載内容を手掛かりとして,当業者が本件訂正事項に想到することが可能であるとしても,そのことと,本件特許明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,本件追加事項が新たな技術的事項を導入しないものであるかどうかとは,別の問題である。そして,本件訂正事項については,本件特許明細書等に記載があるとは認められず,また,審決の上記説明振りに照らしてみても,本件追加事項が自明な事項とはいえず,本件特許明細書等の記載の範囲を超えるものであることは明らかというべきである。
(6)結論
以上のように、本判決では、無効審判における特許権者の訂正はいわゆる新規事項の追加であるとして、本件特許を無効とすべきか否かについては判断することなく、審決を取り消した。
4.検討
(1)変形例の技術的事項を追加する補正
実施例の末尾において実施例の変形例について言及した場合に、この変形例をクレームに追加することは原則として新規事項の追加に該当しない。しかしながら、実施例の末尾において2以上の変形例を列挙した場合に、異なる変形例に記載された事項を組み合わせてクレームに追加することが可能であるかについては明確な基準がない。いわゆる新規事項の追加に関する過去の判例では、知財高裁大法廷が、「『明細書又は図面に記載した事項』とは、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該補正は、『明細書又図面に記載した事項の範囲内において』するものであるということができる」と判示した(2006年(行ケ)10563号)。このため、異なる変形例に記載された事項を組み合わせることが新たな技術的事項の導入に相当するか否かを判断する必要がある。
(2)本判決の新規事項追加の判断の妥当性
本件明細書の段落0041は、第4実施例の末尾に記載されていることから、段落0041の「本実施例」は第4実施例を意図したものであると思われる。つまり、段落0041は、第4実施例の変形例が記載されていることになる。一方、段落0044には、第1実施例〜第4実施例において屈曲水晶振動子の基本波モード振動での容量比r1は2次高調波モード振動の容量比r2より小さくなることが記載されているが、段落0041に記載された第4実施例の変形例における容量比ri(i=1,2,...,n)には言及していない。また、本件明細書には、溝の幅に応じて、電気機械変換効率が良くなることが記載されている(段落0028)。この「電気機械変換効率が良い」とは、容量比riが小さいことを意味すると説明されている(段落0017,0027)。従って、溝の幅と容量比riとの間には密接な関係があることが読み取れるため、中立線を残して、その両側に溝を形成し、音叉腕の中立線を含めた部分幅W7を0.05mmより小さくし、かつ、各々の溝の幅を0.04mmより小さくする変形例を採用した場合には、溝の幅と密接な関係にある容量比riについても変動することが推測される。従って、この変形例において第1〜第4実施例と同様に屈曲水晶振動子の基本波モード振動での容量比r1が2次高調波モード振動の容量比r2より小さくなることについては、当業者が明細書の記載から読み取ることはできないと思われる。このため、上記訂正が新規事項の追加であるという本判決の判断は妥当であると思われる。
(3)無効理由
本判決は、本件特許を無効とすべきか否かについては判断していない。無効審判では、第1音叉腕に溝を形成する工程が、「第1音叉腕の上下面の少なくとも一面に、中立線を残してその両側に、前記中立線を含めた部分幅が 0.05mmより小さく、各々の溝の幅が0.04mmより小さくなるように溝を形成する工程」であることに特徴が認められたため、審判請求が棄却されている。しかしながら、本判決により、上記特徴を追加する訂正が不適法であると判断されたため、被告が進歩性不備の無効理由を回避することは困難な状況になったと推測される。
(4)備考
本判決において示されたように、明細書の作成時に実施例の末尾において2以上の変形例について説明する場合には、これらの変形例を組み合わせることが可能であるか否かについて言及する必要があるものと思われる。